樺細工が2022年11月15日(火)読売新聞の朝刊に掲載されました。
伝統工芸士の荒川慶太郎さん、弊社代表の冨岡がインタビューに答えています。
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以下記事全文
あきたの手仕事
熱した金属のこてを、水を張ったボウルに鎮める。「ジュッ」。角館樺細工伝承館(秋田県仙北市角館町)で、伝統工芸士の荒川慶太郎さん(46)は水が発する鋭い音を確かめ、コテを「樺」の樹皮に押し当てた。
樺細工の代名詞とも言われる「茶筒」作りの工程で、にかわを塗った樹皮を貼り合わせる作業だ。熱が足りないと接着できず、熱しすぎると樹皮は焦げる。最適な温度を、荒川さんは、水がはぜる音で判断する。
「こてが熱いと高い音が出るでしょ。感覚というか、何度も繰り返して身についたこと」。荒川さんはそう説明し、シワができないよう、樺を丁寧に延ばした。
荒川さんは高校卒業後、父で伝統工芸士の慶一さんに弟子入りした。「じっさまも職人で(樺細工が)身近な存在だった。でも一番は『ヤマザクラ』っていう材料の面白さかな」
樺細工の材料は実は樺ではなく、ヤマザクラの樹皮が使われる。桜の皮を現す古語「かには」が転じ、「かば」となったとされる。
特徴は、縄文時代から補強財として使われてきたほどの強靭さと、渋い光沢を帯びた赤紫色の色調だ。樹皮のざらざらした表面を磨き上げると、「金系」「銀系」「ちりめん」と称される模様が浮かびあがる。荒川さんは「削った時に『こんな色してたんだ』と意外な発見がある」と語る。
日用品に火を見いだす「民芸運動」を提唱した、思想家の柳宗悦も指導に訪れ、「日本の樹である桜が皮として使われている。ここにこの工芸の意味がある」と評価した。
樺細工は、さまざまな困難に直面してきた。天保の飢饉では米価高騰のあおりで売れなくなった。戦後は多くの失業者が作り手に参入し、「粗悪品」が出回った。そして今、生活スタイルの変化で、桜皮の和の雰囲気に合う和室が減っている。
そうした課題を、樺細工は高い技術と時代にあった商品を作ることで乗り越えてきた。製造販売を行う「冨岡商店」の冨岡浩樹社長も、「今の住宅に合うよう、白木や異素材を組み合わせるようになった」と話す。
同社では新たな需要を開拓しようと、海外展開に力を入れる。2012年からドイツ・フランクフルトの国際見本市に参加。「大館曲げわっぱ」と共同制作したトレーなどを展示すると、初出店で取引が決まった。冨岡社長は「日本イコール桜というイメージがある。桜皮と秋田杉のコントラストが目を引いたのだろう」と振り返る。
欧州で更なるブランド強化を目指し、自然素材を使うエコな商品としてPRする。「樺細工は世界でもユニークな工芸品。ヨーロッパの方も道具をめでて、お茶の時間を楽しんでほしい」
樺細工
ヤマザクラの樹皮を貼り合わせたり、彫ったりして作る。
頑丈で湿気に強い特性を活かし、茶筒や小物入れといった生活用品として使われている。
江戸時代中期、北秋田市の同仁地方から角館に技法が伝わったとされる。武士の内職として、印鑑や火薬入れが作られた。大名への献上品として、藩主から注文を受けたとの記録も残る。戦後、街の就業人口の半数にあたる約1,000人が従事したという。
「樺細工を広くPRし、知名度をあげないといけない。」と話す荒川さん